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浜松の生い立ち

鍵になると思われる出来事の深掘り


みかえる


 みかりん

三河 ~ 遠江 重ね地図 ・・・ 明治23年から現代の地図が閲覧可能


明治23年 測図
大日本帝国陸地測量部

左画像をクリック 別ウインドウが開きます
   [ 国土地理院 & 今昔マップon the web (埼玉大学) のマップデータを使用 ]

透過度を調整することにより現在とのおおよその位置関係が判ります。
 ・ 明治23年測図
 ・ 大正5年測図
 ・ 昭和14年修正
 ・ 昭和32年三修
 ・ 昭和54年修正
 ・ 平成2年修正
 ・ 平成19年更新
 ・ 空中写真 1961~1969年":

「西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース」

遠江図 宝暦13年頃(1764)

遠江図

遠江国全図 明治2年(1869 )

遠江国全図

静岡県細見図 明治11年(1878)

静岡県細見図

静岡県管内全図 明治22年(1889)

静岡県管内全図
  • 明治22年 浜松宿から浜松町になった時の町の範囲と周りの村名が判る
  • 天竜川の中に輪中があり、その村名も書かれている

古地図、 絵図 

浜松市立図書館 ホームページにある
「浜松市文化遺産デジタルアーカイブ」に揃っています。
中でも一番古いのが

正保国絵図 遠江国 1644年~

遠江国絵図

正保元(1644)に命ぜられ作成

  • 馬込川が天竜川の支流(小天竜)
  • 横須賀湊は鳥羽と下田の真ん中にあり、潮が満ちると横須賀城の大手の前まで大船が出入りできる遠江国無双の湊(宝永地震以前 1707年)

遠江国群図 (内山真竜) 寛政元年(1789)

遠江国風土記伝

遠江国風土記伝 挿絵

1707年10月28日(宝永4年10月4日)に南海トラフで発生した宝永地震により、浅場低地が隆起 浜名湖北部が沈下

地盤の隆起により横須賀湊が衰退し陸地化

天保国絵図 遠江国 天保9年(1838)

天保国絵図遠江国
   国立公文書館デジタルアーカイブ

天保6年(1835)その作成が命じられ、同9年(1838年)に完成

伊能忠敬 地図 〔 大井川 ~ 浜名湖 〕


伊能中図 中部近畿
【 国土地理院 古地図コレクション 】へ

伊能図 遠参〔大井川 浜名湖〕
【 国土地理院 古地図コレクション 】へ

伊能忠敬は、享和3(1803)年 3月、文化2(1805)年 3月、文化5(1808)年 2月と計3回 来浜しており、その時の様子が、下記資料に描かれています。
  「遠江 40号」~「遠江 42号」
    出版者:浜松史蹟調査顕彰会


佐鳴湖西岸 時計塔の南側にある、伊能忠敬 測量記念碑